2013年3月4日月曜日

冬期総合訓練1日目(3月4日)その2

遅れて着いた松本駅集合組も合流して、1時間ほどしてから開校式です。

普段は食堂に使っている場所を講義室と称して、暖房がほとんど無い
足元がすごく冷える場所で授業を受けます。
まさに“訓練”です。




スタッフと訓練生の自己紹介、小屋の主人の挨拶の後に
極地研究所の白石所長の講義が始まりました。
内容は、日本の南極観測のこれまでの歴史とその成果について。

南極観測の実施は法律で決まっているわけではなく、あくまでも
閣議決定でやっている事業だそうです。
国会の議決によって作られた法律に基づいている訳ではないので、
何らかの事情があれば、簡単に中止となることもあるという
非常に不安定な状態でこれまで観測が続いてきたのだとか。

南極の昭和基地にある建物の数は、なんと50から60もあるそうです。
南極越冬隊は30人程度ですので、ふだんは人間よりも建物の数の方が多いことになります。
ちなみに日本の南極基地は極地研の附属施設という位置づけになっているそうです。

日本は南極の領土権をすでに放棄しています。
でも他の国では領土権を主張しているところもあるとのこと。
そういった状況の中で、日本が南極観測を継続して、「結果」を残さなくては、
日本は南極における国際的な発言権を失うことにつながる可能性があるとのこと。
たかが観測ですが、その観測も国際政治の中では重要な意味をもっているんですね。



続いて、宮岡隊長の講義。
内容は今回参加する、55次隊の概要について。

ここ2年、昭和基地周辺の海が厚い氷に閉ざされてしまい、
物資を補給するための「しらせ」が接近することができず、
特に発電機用の燃料が十分に運搬できない状況となっています。

そこで、今回は燃料を節約するため、従来に比べてかなり隊員数を
減らすことが決まっています。
通常、越冬隊には調理担当や医療担当はそれぞれ2人配置されてきましたが、
今回はそれぞれ1人に減らされました。おそらく、みんなで交替で
調理をすることになるのでしょう。
観測隊の花形である、研究者の枠も削減するのだとか。
越冬隊の人数だけでみれば、これは40年ぐらい前、日本が南極観測を
始めた頃の規模になっています。



その後、牛山副隊長の講義。内容は越冬隊での安全の確保のついて。
南極越冬隊では、南極で発生した問題を自分たちだけで解決することが
求められます。
その中でも、安全確保は最も優先順位の高い事項になります。
日本の南極観測ではかつて、一人の隊員が吹雪の中、帰り道を
失って亡くなるという悲しい事件がありました。
二度と同じような悲劇を生まないようにするため、
観測隊員・特に越冬隊員には非常に高い安全確保についての意識が求められます。


その後、無線(トランシーバー)の基本的な使い方の説明があり、夕食。
夕食後にも講義が続きます。



夕食後の講義はルート工作の方法論。
南極は雪と氷に覆われた大地なので、道がありません。
仮に、足跡を付けても消えてしまいます。

そこで、オリエンテーリングの要領で、コンパスと距離計という道具を使って、
過去に安全が確認された道のチェックポイントをたどりながら、目的地へと進みます。

今回の訓練では、南極で使う精密なコンパスの使い方に慣れる目的のため、
翌日、コンパスと歩測を使ったオリエンテーリングをします。
この講義ではその方法の概略の紹介がありました。
詳しくは後日、紹介します。



講義後は自由時間。という名の、もちろん飲み会です。
夜遅くまで、楽しい時間を過ごしました。


【続く】冬期総合訓練2日目(3月5日)その1

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